明治生まれの祖母

徳島繊維卸 山善のてるよ女将です。
今日は、亡くなった祖母の誕生日です。
明治42年、3月23日生まれ。
明治42年って、1909年だって。

スペイン風邪の時代もあったはず


幼少期に第一次世界大戦があったはず。

そして、今比較されている「スペイン風邪」の最中をくぐりぬけてきたことになります。
祖母が育った神山は、山中なので、病院も少ない場所。
元気に大きくなってくれたので、本当に良かったと思います。

もし、その時スペイン風邪にやられていたら、
祖父とは結婚していなかったでしょうし、
父も叔母も叔父も生まれていないことになります。

そう考えると、私たちは、引き継がれた命。
大切にしたいな~。

コロナに対して、できる予防はきちんと行い、
恐れすぎず、生きていきたい。

大正時代という、薬もワクチンも少ない時代も
人間は生き抜いてきたんだから、現代も負けてはいられないね。

第二次世界大戦をくぐりぬけて

さて、祖父と結婚した祖母は、三人の子供に恵まれます。

でも、三番目の男児(叔父)を生んだ直後、祖父は第二次世界大戦へ出征。
祖父はどんなにか心残りだった事でしょう。

徳島市内の佐古に住んでいたのですが、生まれた神山に疎開。
食料不足で、疎開生活も大変だったようです。

祖父は戦死広報が来ただけで、白木の箱の中に紙一枚。
何一つ戻らなかったそうです。
ほんまに、諦めがつかないよね・・・。
そんな人が大勢いた時代です。
戦争って、そういう事なんだと思う。


その後は女手一つで三人の子供を育て上げました。
ミシンが、大切な相棒となってくれたそうです。

長男に生まれた父も、クラス委員長ができるほど賢かったそうですが、
祖母を支えてひたすら働き、家族を支えてきました。

戦後、昭和の時代

昭和37年に母と結婚し、翌年生まれたのが私です。

右肩上がりの昭和時代。
両親は寝る間も惜しんで働きに働きました。
その間、私と妹の世話をしてくれたのは祖母。
私と妹にとっては、とても優しい祖母でした。

佐古6番町の自宅兼小さなお店からスタートです。
今は家は無く、駐車場になっています。

佐古6番町の自宅兼店

懐かしいね~。
汲み取り式便所で、マキで火を起こして炊くお風呂。
裏には南天の木や小さな庭。
近所に同級生がたくさんいて。
異年齢の子供たちで、一緒に遊んだ。

居間には、炭を入れる掘りこたつだったんですよ。
足を近づけすぎて靴下によく穴をあけてしまったものです。
それを、繕ってくれたのも祖母が多かったなぁ~。

左側が祖母佐古の時代

私が佐古小学校に通っている頃の祖母の写真。
この写真の頃の祖母は60代前半だと思うのですが、今の60代とは全然違いますね。

戦火を生き抜いてきた祖母と、植木農家の長女の母。
しっかり者同士なので、ぶつかることも多々ありました。

今ならわかることも、たくさんあります。
それぞれの立場と言い分もわかるのでね。

それでも、やっぱり家族。ずーっと一緒でした。
米寿の御祝いも盛大に行った。
その後亡くなるまでの四年間は、病院だったけれど。
とにかく、元気な祖母でした。

それが、今の会社、山善の基礎となったのですね。

毎朝お仏壇に手を合わせて、祖父母と話をしてくるのですが、
今あることに感謝して、前を向いて生きていこう。
今日は特にそう思いました。

コロナに負けてなんかいられません。

祖母の誕生日を振り返っての日記のような文ですが、
お読みいただき、ありがとうございました。

呉服業界にとっても、厳しい状況ですが、
できることから、コツコツとやって行こうと思っています。
皆様のお役に立てるお店でありたいと思っています。

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場所 〒770-8056 徳島市問屋町46番地
定休日 日曜午後、祝日、 第一第二土曜
営業時間 午前8時半~午後5時半
TEL 088-623-2366


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