錦:宮尾登美子著

徳島繊維卸問屋㈱山善の着物の先生、てるよ女将こと山口哲代です。
読みたかった「錦」読了しました。

宮尾登美子さん錦

龍村美術織物さん

この本は、龍村美術織物初代社長龍村平蔵について、宮尾登美子さんが取材をかさねられ書かれた小説です。
龍村の帯と言えば本当に見事なもので、なかなか手の出せるものではありません。
憧れの一本と言えます。
お茶の世界でも、古袱紗や、お茶入れの仕覆などで有名です。
そのくらいは知っていても、その成り立ちや詳しいいきさつは知りませんでした。
小説とはいえ、宮尾さんが如何に取材に年月をかけられたかよくわかる一冊でした。
あとがきを読むと、伝記と小説の違い、お話がスタートしてから30年もかかったことが書かれていました。
それだけ、書くには壮大なお話だったと言う事ですね。

私も着物や帯に携わるお仕事をさせてもらっているので、この本に出合えたことに感謝です。

あらすじ

幼少期の体験

この物語の始まりは、主人公菱村吉蔵が祖父に溺愛されるところからスタートする。
唯一生まれた孫が吉蔵だったので、祖父はつねに吉蔵を近くに置き、どこへ行くにも連れて歩いていたようすが描かれています。
吉蔵は、この時の体験が後々の良きものを見極める目に役立ったのだと思います。
純粋無垢なころに目と手と感覚で知りえた記憶は、とても深い所に残っていくのですね。

おじいさまが亡くなると、財産は分配されて大阪のお商売も無くなってしまいます。
吉蔵の父は、お坊ちゃま育ち。
分配された財産で暮らしていきますが、派手な遊びもやめられず、結局吉蔵は、高校を中退して家族を支える決心をするのです。

そこで始めたのが黒繻子の帯の担ぎ売りでした。
そのあたりの苦労話は、読んでいる私の胸を大きく揺さぶるものがありました。
17歳の吉蔵が、仕入れに失敗し、呉服屋さんでコテンパンに言われて気が付く場面。
その吉蔵にお母さんがはっぱをかけるシーンには、胸に迫るものがありました。
幼い頃、宝物のように大切に扱われて育った吉蔵なのにね。
この場面は、ぜひ実際にお読みいただきたいです。

織物との出会い、そしてスタートです。

オリジナルの帯とお仙さん

苦労しながら帯の事を勉強した吉蔵は、オリジナルの帯を作るため、頑張ります。
ジャカード織機を購入して、菱村オリジナルの帯を織りはじめます。

その織手山根さんの織場でその息子の善一、娘のお仙と出会い、長い長い仕事のパートナートなっていきます。
お仙さんは体が大きく、器量はそこそこのようす。
でも吉蔵のが大好き。大好きな役者染五郎さんに吉蔵がそっくりにみえたそう。
吉蔵のことが大好きだと分かっているのですが、吉蔵は別の女性「むら」とお見合いして結婚してしまいます。

それでも、お仙は吉蔵のそばを離れないんです。
分からない・・・・
吉蔵の気持ちもお仙の気持ちも、わからない~

オリジナル帯の実用新案登録

日にも日にも頑張って、実用新案を取ります。
一度とったら、なお一層頑張るのが吉蔵のすごい所。
31歳で6つの専売特許と30の実用新案をとり、西陣にお店をかまえるまでになりました。


たった1機だった織機は60機まで増え、吉蔵には大変な重圧となりました。
その上、次々と新商品を生み出す大阪出身の吉蔵は、西陣の人々から嫉妬され、次々と帯を模倣されてしまうのです。
模倣品の事をしり、今まで手を携えて励んできた善一まで西陣の人とひとくくりにして怒ってしまう吉蔵。
残念過ぎる・・・
ここから、善一の心は離れてしまいます。

そんな苦しい気持ちの吉蔵の前に大阪南の芸妓「ふく」が登場する。
模倣品騒動は収まらず、菱村の商いにも暗雲が立ち込める。
そうなればなるほど、吉蔵は宗右衛門町のふくの元へ何度も通い、とうとうふくを身請けしてしまう。

むらさんという奥様との間に子供までいるのにね。

そして善一は吉蔵を裏切り模倣品を作り続けていたことが発覚する。

刷新と茶道具

そんな苦難を大叔父太一に相談し、組織改革を行った吉蔵
ここで、最後までともにする。永井さんやなどと出会うのだ。
経理を任せる服部ともであうのだが・・・

ふくは懐妊し、それをどうするか案じている時、加賀の橋田家より茶入の仕覆の復元を打診される。
これが、菱村と仕覆作りとの出会いとなる。
加賀橋田家の蔵は東京にあり、そこで、吉蔵は東京に居をかまえることにする。
それとともに、ふくも東京へ一族でひっこさせ、出産させる。

妻むらの目から遠ざけてしまったわけですね。
ここまででこの本の半分です。

宝物裂

吉蔵が次に出会うのは西本願寺の裂です。徳光先生のお導きで、アジアの西国から苦労して持ち帰った宝を見ることができたのです。その中で、ミイラの顔を覆っていた布を見ます。
ここから狩猟文の復元に心血を注ぐことになります。


そして、その頃、時を同じくして、とうとう「ふく」の件が妻むらに露見してしまいます。
そりゃそうだわなぁ・・・
奥様、激怒しますよね。

離縁すると思います?さあ、どうでしょうか。
その頃から吉蔵は神経衰弱となり、精神をやられてしまうのです。

ミイラの裂をどうやって復元すればよいのか、日にも日にも考えて、青木先生に相談していると、法隆寺夢殿の裂と同じ時代かもしれないと、教えてくれます。

そこから、青木先生の骨折りで、実際に見せてもらえることに。


法隆寺夢殿の観音菩薩を包んでいた裂を菱村三羽カラスで見に行くシーンなど映画のようにえがかれていて、とてもおもしろかったですよ。
ワクワクがとまりませんでした。

青木先生の後押しもあり、法隆寺救世観音菩薩の御戸帳の復元をさせてもらうこととなりました。

獅子狩文錦

その頃吉蔵は、ふくの件がむらに発覚し、東京へは行けていませんでした。そんな時、ふくは三男を病で亡くします。

しかし、吉蔵は、御戸帳復元の最中。神々しい作業中で、駆けつけることができませんでした。

つらいなあ~。

そして完成させたのが、かの有名な四天王獅猟文様錦、略して獅子狩文錦です。

完成させて、やっとふくの元へ駆けつける吉蔵でした。

正倉院の琵琶袋

しかし、ふく本人が結核にかかってしまいます。
当時は転地療養した方法がなく、どんどん痩せてしまう様子は胸が痛くなりました。
正倉院の裂の研究を任された吉蔵は、すぐに奈良へ帰ってしまうのでした。

そうして、以前即膜炎を患ったことのある経理の服部を担当にするのですが・・・

この後、正倉院の琵琶袋完成に向けてひた走る吉蔵。その最中、ふくは命を落としてしまいます。その知らせを受けた仙は、吉蔵に告げずふくは知らぬうちに、家族だけで見送られるのでした。なんと、切ないこと…

ふくを亡くして腑抜けになってしまった吉蔵。

そこへ、今度はタピスリーの製作依頼が入ります。

タピスリー

ふくの喪が明け、懸命に取り組むのですが、職人魂の塊の吉蔵。なかなか思うものができません。綴れ織りのタピスリーの難しさ。本業を圧迫し、菱村は、倒産寸前に追い込まれ、経理の服部は、会社の金を持ち逃げし、とうとう吉蔵は、倒れてしまいます。

はたしてタピスリーは、完成できるのか、ハラハラしました。

やっと完成させたのは、仕事を受けてからなんと、八年後だったのです。納品の遅れを教授に叱られ、拝謁も叶わず、再び吉蔵は、寝込んでしまいます。

そんな、吉蔵を元気にするため、仙は、菱村吉蔵二十年の軌跡展を開催すべく奔走し、昭和16年、開催にこぎつけるのでした。

第二次世界大戦で、タピスリーは燃え落ちなくなってしまいます。

戦後も菱村は経営危機に何度かみまわれますが、四人の息子たちやスタッフが強い支えとなり、危機をのりこえたのでした。

昭和37年87歳で、吉蔵は永眠します。吉蔵一代のとてつもない物語でした。

感想

龍村さんは、数々の偉業を達成されたすごい方なんですね。

偉業を成す為には並大抵の努力ではないことも、よくわかったけれど…

けれど、周囲の方々の支えと我慢、努力あってのことでしょう。西陣の理不尽なことにも負けず、悔しさをバネにより一層の高みへ上り詰めることができる人はそうそういないと思いました。

その影で、むら、ふく、仙。三人の女性がどんな思いでいたことか。

本当に切なくなりました。

金銭面でも浮き沈みがあり、大きな会社を支えることの大変さも、よく描かれています。

宮尾登美子さんと言えば。

鬼龍院華子の生涯はじめ、女性が主人公であるイメージでしたが、この本を読めば、そうではないことが、よくわかりました。

正倉院の宝物を描く場面では、目の前にその宝物が浮かんできそうな緻密な筆致でした。宮尾登美子さんの取材力と表現力が素晴らしかった♥️😄

龍村さんの波瀾万障の人生物語。読めて良かったです。これからも帯や茶道具で龍村さんの織物を目にすることも有ると思います。

先人の苦労に想いを馳せ、大切にしたい、そう感じました。

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