あい 永遠に在り:高田郁
徳島繊維卸問屋 ㈱山善のてるよ女将こと山口てるよです。
高田郁さんの「あい 永遠に在り」を読みました。
主人公「あい」の生い立ち
本の題名になっている「あい」さんは、関寛斎さんの奥さまの名前です。
茨木県東金で生まれ育ったあいと寛斎。
九十九里平野の丁度中あたりは、大きな川も無く米だけではなく粟や稗さえ育ちにくい土地だった。
そんな農家の三女として生まれたあい。
綿を糸につむぐことに秀でていたあいは、親戚の関家の年子(叔母にあたる)に機織りを教わることとなるのです。
あいの人柄に、年子は息子の嫁にと心に決めるほど、まっすぐなあいでした。
関家は、あいの父の兄が養子に行った先で、私塾をひらいて、子弟に学問を教えていました。
しかし、子供に恵まれなかったため、年子の妹(若くして亡くなった)の子供を養子として迎えました。
それが、関寛斎。あいの夫となる人です。
なので、血はつながっていないと、いうことですね。
寛斎は、厳しくしつけられ、東京の佐倉順天堂で医学を学びます。
当時から医学を学ぶにはたくさんの費用が掛かったようで、寛斎は貧しさと闘いながらも認められ、東京で有名な医者となり、父の希望で故郷に帰り
開業します。
そして、あいと結婚します。
銚子へ
結婚し、東金で開院したものの、患者は来ませんでした。
蘭方医である寛斎は、新しい治療を行うと、恐れられていたというのです。
恩師佐藤泰然は、長崎へ留学するよう寛斎にすすめるのですが、
こどもに恵まれ、妻あいの織物で暮らしていた現状ではいけませんでした。
そんな中、恩師より、銚子で治療にあたるよう、推挙された、寛斎。
あいと、初太郎とともに、銚子へ赴任すします。
銚子は漁師町。
たくさんの患者を診ることとなりました。
そこで出会うのが浜口梧陵です。(ヤマサ醤油の七代目当主)
長女にも恵まれ、幸せな時間を過ごしていく二人。
そんな中、コレラ発生の話が聞こえてきます。
長崎で出たコレラが江戸まで来て、すぐに銚子まで来ることを予見した梧陵は、
寛斎に東京でコレラの治療を学ぶように頼みの文を送ってきます。
それに答えて、寛斎はコレラの最中の東京へ飛び込みます。
送り出した、あいの気持ちを考えると切なくなります。
夫が死の病の最前線へ行くのですからね。二人の子供をかかえてあいはどんなに心細かったでしょう。
無事に治療法を学んで生還した寛斎は、銚子にコレラが広まらぬよう、尽力し、人々を病から守り抜きます。
そんなひととなりを見た梧陵は、寛斎を長崎へ行き、医療を学んでほしいと熱望します。
「医療の堤となってほしい」という梧陵の気持ちに、人さまからお金を借りてまで学ぶことを良しとしなかった寛斎も
首を縦に振り、あいや子供たちを残して長崎へ留学します。
長崎で、ポンへ医師と出会い、生涯の宝となる寛斎。
もう3~5年は学んではという梧陵の支援を断り、一年で銚子へ帰ってきます。
そして半年後、佐倉順天堂の同期に推挙され、阿波蜂須賀藩のお抱え医師になることを決めてしまうのです・・・
これまでの梧陵の厚情に答えてないじゃん!と思うのは、私だけでしょうか?
その、別れ際、梧陵はあいにつたえるのが、この言葉。
「人たるものの本分は目前にあらずして、永遠に在り」
なんと、梧陵の懐の深いことでしょうか・・・・
阿波藩へ
徳島では蘭方医はあまり認められておらず、漢方医の力が強い土地柄。とても苦労をします。
先に徳島へ赴任した寛斎は、農民の出であることもあり、言われぬ苦労の連続でした。
妻あいや、その子をよびよせたのですが、送った荷物がとどきません。
なんと、船が難破して全財産全資料をなくしてしまうのです・・・
そんな時助けの手を差し伸べるのがまたしても浜口梧陵。
船を手配した責任だと、物資をたくさん送ってくれます。
もう、神!ですよね~。
寛斎は、懸命に務め、藩主斉裕公やその娘賀代姫の治療に全力を尽くし認められていきます。
徳島の暴れ川吉野川の様子、お水の話、ずきがしの話など徳島ゆかりのお話がたくさんでてきます。
そして、時代は江戸から明治へ。
寛斎は戦場へ出かけていくのです。
日本各地で傷ついた大勢の人を救います。
沢山の報償金をもらうのですが、全て寄付してしまいます…
あいさん、文句言わないのよね…😭
あいは沢山の子宝に恵まれますが、半数の子供を病で失ってしまいます。
どんなに悲しかったことでしょう。
読んでいて切なくなってしまいます。お医者様の子供さんでも死んでしまう時代だったんですね。
北海道の開拓へ
寛斎は、古稀をむかえてから徳島の私財を全て処分して、北海道の開拓に行ってしまいます。
ありえない!と、思いませんか?
あいも開拓を夢見て付いていくのです…これから先はお読みくださいませ。
当時の北海道の寒さは、すごいですよね。
可愛いアイヌの子供さんにも出会います。
尽くして尽くしてのあいさん。
今ならあり得ない辛抱の連続でした。
何処までが事実で、どこからが物語かは、わかりませんが、
徳島ゆかりの関寛斎の妻の物語を読めてよかったです。
ヤマモモの木
この物語の中で、折に触れ出てくるのがヤマモモの木です。
ヤマモモには雄と雌があって、雄の木は実をつけません。
ヤマモモは徳島県の木でもあります。
関家とご縁の深い木なんですね。
関寛斎の銅像が徳島市の川沿いにあることや、関家の家があったところが現城東高校のあたりであること。
徳島市の民の病をたくさん治したことなど、いろいろ知ることができました。
あいさんのようには、なかなか生きられないけれど、ひたむきに生きる生きざまは、本当に見事でした。
この本を読めて、徳島市民として良かったなぁと思っています。
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会社説明
会社名 | 株式会社 山善 |
場所 | 〒770-8056 徳島市問屋町46番地 |
定休日 | 日曜午後、祝日、 第一第二土曜 |
営業時間 | 午前8時半~午後5時半 |
TEL | 088-623-2366 |